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2012 02 09 共有

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この一週間というもの,亀沢合宿,プレゼ練習,公開審査や,レセプションや,受賞の方々との飲み会,それらの総括,と,頭が目まぐるしく刺激された.

はっきりとしてきたのは,
「建築は環境をつくり出す手段のひとつ」
「生み出された環境や物語に興味がある」
ということ.

今日の朝,乙庭の太田さんから下記メールを頂いた.
その言葉は,まるで鏡のように,これから進む道を示していた.
共有できる人がいる喜びがある.

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藤野さま、

おはようございます。
一昨日・昨日と本当にお疲れまさでした。
そして、悔しいお気持ちもあると思いますが、銅賞の獲得、本当におめでとうございます。

プレゼンテーションについて、
萩塚の長屋というプロジェクトに対するアウトプットとしては建築・映像・言葉がマッチしていたと思いますし、一般オーディエンスに対しては、心地よい・アンダースタンダブルな構成になっていたと思います。

「舞台」ではなく「舞台とそこで繰り広げられる劇」という目論見を適切に表現できていましたよね。ただ見方によっては、建築をピュアに語っていなくて、雰囲気でぼやかしているように感じられてしまうのでしょうか。

分かりやすいということは、分かっていただいた上での評価をしてもらえるので、価値のあることと思います。
小難しかったり、情報が過多・複雑な場合、審査員は、よく分からない上での推測や再度内容確認をした上での評価を下すわけで、中身のある議論が少なくなってしまいますよね。

心地よい5分間を目指したことにより、そぎ落とした建築説明的な部分が審査員側にはほんわりとした説明不足な印象を与えてしまったのかな。

建築的であることと、それ以外の環境要素の説明バランスが今後の考えどころですね。

とはいえ、他の建築家とは違うフォーマット、それぞれのプロジェクトに応じたアウトプットの仕方があると思うので、今回、建築的な言葉の世界をちょっと抜け出して果敢に冒険をすることができたのはとてもよかったのではないでしょうか。

「竣工以降」をデザインするということは、建築の側から見るとやはりとても不確実なものにみえるのかもしれませんね。

でも藤野さんや私たちが志向しているものがそういうものである以上、そこに重点を置いて発信していくのは間違ってないし、重要なことだと思います。

なにか宣言をするとき、中庸は悪だと思います。
今回の藤野さんのプレゼンテーションは、時間を説明で満たし尽くすという、建築の世界では「ごく一般的な」フォーマットを越えて、ひとつ新しい建築観を提示できたと思います。

がんじがらめの説明建築に対してのアンチを考えている現状と近い将来を考えると、すばらしい布石を打てたと評価してよいのではないでしょうか。

天神山事務所以降、藤野さんは確実に評価を伴って発信できていると思うし、波紋の広がりも強く感じます。現在の立ち位置と短期・中長期のデスティネーションを見据えつつ、自信を持って、そして楽しんで一手一手を打っていってください。

では、受賞おめでとうのお喜びまで。 
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