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2012 01 24 ぬるま湯

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夜,天神山で乙庭の太田さんと話す.この日記はその会話の断片.

話題は私の両親の家の改築計画について.
この計画を形容するために,太田さんから「ぬるま湯のよう」という言葉があった.それが表すのは,曖昧さ,不確実さ,いい加減さ,その居心地の良さ.
うちの親は,緊張感のある空間に喜びを見いだすタイプではない.論理的な空間の純粋さは,むしろ窮屈だと感じているかもしれない.

両親はとても普通の人で,同い年くらいの日本人の多数派だ.
みな誰しもが家の外では社会と向き合っている.運転や,説明や,会話など,緊張感は日常的に存在する.せめて家の中でくらいは,説明から逃れて寛ぎたいな,というとき,ロジカルな空間の明快さが邪魔な場合もあるだろう.今回の施主は特にそんな感じがした.それは自然な考え方と思うし,建築の作リ出してしまう不自由さに鈍感になりたくない.そんなことを考えるうちに,自由だがまとまりの無い案が出来た.

この建築を構成する線は,どれか一本が決まると様々な箇所が自動的に決定するような,全体に通底する決まりはある.がそれは重要ではないと思う.それより重要なのは,住んで心地よいこと.そんな当たり前を説明する難しさに「ぬるま湯」発言で切り込む.当たり前をどんなふうに解釈すれば良いか,楽しみだ.
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