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2011 08 01 萩塚の長屋 新建築に掲載

本日発売の新建築8月号に,集合住宅「萩塚の長屋」を掲載して頂いた.
同じく本日発売のオランダの建築雑誌マークマガジン33号に,「天神山のアトリエ」を掲載して頂いた.

この二つの空間を比べると,天神山は動的,萩塚は静的に見える.どちらも植栽は乙庭さん.

天神山は,人も植物も風景も変化し,育ち,衰え,動き続ける.植栽は100種を超え,空間はおおらかで不定形.変わらないのは壁と天井だけ.個人的な世界から大きな外へと繋がっていく.

対して萩塚の植栽は,孟宗竹と周防竹の2種のみで,これ以上高く育つことは無い.建築も植栽も砂利も石も静的で,最初から完成し,空間全体を律している.では,変化する要素が無いのかといえば,そうではない.それを住まい手の暮らしに期待している.4月の竣工写真に比べ,梅雨明け後の姿を写した誌面には,生活の瑞々しさが溢れ出ている.住人の多様な気配が建物に纏わりついている.
賃貸は誰が入るか,どのくらいの間住むか,わからない.そんな不確定な要素が面白い.たくさんの専有の外部空間を設けると,生活が外に滲み出る.住む人によって,建築が着せ変えられるようだ.新建築社の動画では,静かに整えられた場所と,そこに動く人や家具や町や雲の様子が対照的に描かれている.

どちらも,様々に変化する要素が豊かな情景を生むことを望む.この二つの建築は異なるように見えて,それほど違わない.なんのことはない,天神山では設計時から「私たち」という住人の生活を,空間に周到に投影できたわけだ.設計の主旨はあれど,建築が出来たから終わりではなく,また,どこかに終わりがある訳でもなく,ただ続く毎日の中で様々な情景が立ち現れては消えて行くだけである.設計時に予想できることは限られている.建築がどう使われるか考えて,期待して,裏切られ,それでも何らかの風景はある.その流れ全体を楽しめるような強さが建築にあれば良いと思う.


掲載記事は,乙庭さんのブログでも.